あなたは何を求めてドキュメンタリー映画を観ますか?「知らない世界を見てみたい」「いろんな人の人生に興味がある」…様々な動機があると思いますが、ドキュメンタリー映画上映後〈これは全てフィクションです〉とテロップが出たらどう思いますか?裏切られた気分?でもドキュメンタリー映画とはそういうものですよ、と正直に言ってしまうのがこの2人の監督、想田和弘と森達也。 
 想田和弘は、ナレーションを一切使わない「観察映画」の手法で、精神科診療所の患者を見つめた『精神』(2008)を撮った監督。その映画の制作過程と上映後の紆余曲折を綴ったのが『精神病とモザイク』(中央法規/  2009)です。精神病とされる人々にカメラを向け、モザイク処理なしで撮られた『精神』は各国で大絶賛された一方、一部の観客や、撮影当時に協力的だった患者さんからも批判を受けます。もちろん、常に自分の加害性を意識し葛藤していた監督はその声を受け止めるのですが、それでも作品を公開したのは、タブーとされてきた精神病とされる人たちの姿を自分自身が知りたい、そして多くの人に知ってほしいと思ったから。だから、その画面に映っているのは、あくまで“監督自身か知りたいと思った彼ら彼女ら”の姿でしかないのです。
  その加害性と主観性を意識できるかどうかが、ドキュメンタリー映画が作品として成立するか否かの鍵を握っている、と言い切るのが、オウム真理教の内部を信者側からの視点で撮った映画『A』(1998)で注目を浴び、山形国際ドキュメンタリー映画祭とも縁が深い森達也。 『ドキュメンタリーは嘘をつく』(草思社/  2005)では、ドキュメンタリー映画成立の歴史を紐解きながら、劇映画とドキュメンタリー映画の境目を探っていきます。ドキュメンタリーを事実の記録と素朴に信じていては、観客は無自覚にその加害性に加担していることになる!そんなことを鋭く突き付けられる本です。 自分はなぜドキュメンタリー映画を見るのか。無自覚な加害者にならないためにも、今一度、これらの本を読んで立ち止まってみてはいかがでしょうか。(小笠原千秋)
※ 「ブック・カウンセリング」とは、様々な
      “事柄、モノ、人”などにマッチする本をお勧めする事業です。